目上の人や礼儀として、お礼をすることを当たり前にしてきたけど、その当たり前の思い込み、もういらないや。
お礼のメッセージを送ることの相手のデメリットは?
・返事をしなきゃという気持ちになる
・時間を割くか割かないかを考えることになる
・いいね!を押したり、しなくてもいいことをする手間が増える
・ほかに時間を使えたのに使えなくなる
・自分の最高価値以外のことに時間を使うことになる
・社交辞令のエネルギーを受け取ることになる
・返事を考える必要が出てくる
お礼のメッセージを送ることの自分へのデメリットは?
・明らかに社交辞令のエネルギーを送っているので気づく人、自分が関係を築きたい人たちとは関係を築けなくなる。
・今この瞬間を自分のためではなく、相手のために使うことで、自分を信じていないことになる
・最高価値に生きていないことになる
・自分の時間を大事にしていないことになる
社交辞令のメッセージを送るくらいなら
最高価値に生きる時間に使った方がいいよね。
勉強会の方々が本当の意味で喜ぶことは、おれがおれの最高価値に生きて、このことがこう役に立ちました!
って感動を伝えることで初めて伝わるのであって、一回一回の社交辞令は必要ないんじゃないだろうか。
そんなの送ってるくらいなら、はよDMして、オープンになって、自己表現をしまくって、お金を稼いで、本当の意味で恩返しをすること。こっちなんじゃなかろうか?
社交辞令じゃなくて、本当の意味でおれに時間を使ってくれた人たちが喜ぶのは、
その人たちは、自分がやりたいからやっただけであって、見返りを求めてないのかもしれないけど、それでも、自分がしたことがこうやって、芽が育ちました。
これだよね。もちろん、初めのうちは、送りたくなったから送ったわけだけど、
それ以外のタイミングで、送った方がいいんじゃ・・っていう思いから送るのは違うよね。
ここ数日、躊躇して結局送ってないことに罪悪感を感じてた。
でも、そうじゃないんじゃないかな?
出版ゼミの担当編集者の方々であれば、出版ゼミに、若い才能が来ることが何よりも喜ぶことじゃない?
であれば、おれが活躍することで、出版ゼミに若い才能を送っていくこと、これこそが恩返しだよね。
初めは、本当に送りたかったから送ったけど、それ以降は、送った方がいいかなみたいな迷いから
結局、送らなかったんだよね。でも、それでよかったんじゃないかな。
編集者はめっちゃ忙しいって言ってたし、編集者の時間を大事にする選択をすることで、
自分も楽ならその方が絶対いいよね。
ぶっちゃけ、
メッセージを送る、送らないで関係が途絶える人とおれは、関わりたいかって言ったら関わりたくないよね。
何ヶ月も連絡取ってなかったけど、
お互いの喜ぶことがわかってて、
喜ばし合うことができる。
こういう関係が理想なんじゃないかなぁ。
ビジネスでは、すぐにお礼を送ることは、
当たり前だと考えていたけど、
それは、自分の本当の道に沿ってなかったからこそ、そういうテクニックが必要だっただけなのかもしれない。
だからこそ、
お喜楽ランドで、返事をすぐにしなきゃとか、すぐに質問への回答音声を取らなきゃとか、返事をしないと迷惑になる、
LINE@でも早く返事をしなきゃ、
いちいち返事を返さなきゃって自分を追い詰めてたけど、自分がそうしなきゃと勝手に思ってただけなんだよね。
おれが返事をしようがしまいが、
遅れようがどっちでもよくて、
おれが何をしたとしても、それを相手の価値観で受け取るだけ。
おれは、その判断に介入することはできない。その上で、おれは、すぐに返事を返さないといけないっていう人と付き合いたいとは思わない。
ということは、お礼をしたり、返事をしたりすることで自分を縛る必要は一切ないし、
おれにそういうことを求める人とは、
初めから関係を継続できないから去ってもらっていい。
それで、関係が終わったとしても、その人から本来学ぶ必要のあったことがあるなら、
それは必ず別の形でやってくるから。
自分で気づくか、別の人から気づくか、なんにせよ、自分を傷つける選択をしないといけない人間関係は、今のおれには必要ない。
今まで、お礼を送ったことで、
ビジネスをしてた頃とか、
関係を継続できた人もいるのかもしれない。
でも、振り返ってみると、
いま、そういう人と一切繋がってないなぁ。
結局、社交辞令のお礼はある時は必要だったけど、いまの自分には必要ないのかも。
じゃあ、そろそろバイバイだ。
今まで、お礼を送るのが当たり前という考え方を持たせてくれて、助けてくれて、守ってくれてありがとう。おかげで、ここまで来れたよ。でも、もういまは必要なくなったみたい。今までありがとう、バイバイ!!!
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