[お喜楽道の当たり前シリーズ]人はどうして死んでしまうの??

こんにちは!
お喜楽道です^^

あなたのご両親は健在ですか??

あなたのおじいちゃん、おばあちゃんはご健在ですか??

僕のおじいちゃんとおばあちゃんは、父方、母方どちらも
すでにこの世にはいません。

母親もすでに亡くなっています。

今日は、僕やあなたの周りの人がこの世を去る意味について
僕の持論をお話したいと思います。

単刀直入に結論から言ってしまうと…

僕やあなたの周りの人が此の世を去るのは、

「僕やあなたにとってのその人自身のお役目が終わったから」

なのではと考えています。

僕の母親は、

僕と周りの人を比較する比較人間でした。

また、幼い頃から進研ゼミやZ会を毎月購読し、
僕にやらせようとしてました。

でも、僕は勉強が嫌いだったので
やっても数ページ。

小学校1年から6年まで購読してましたが、
やる気すら起きない状態。

中学に入ると、すぐに塾に通わされ、
送り迎えもしてもらいましたが、

正直、勉強はつまらなかったですし、
送り迎えをしてもらっていたので
塾の他の子とも一緒に帰ったりということができず、
塾内ではうわべの人間関係だったなーって思います。

今となっては、母なりに僕の人生を心配してくれてたんだとわかりますが、
当時の僕はそんなことは思わず、母のいいなりになって生きていました。

それから、月日は流れ、就活時。

僕は、初めて母の反対を押し切って、
ビジネスのメンターの元に弟子入りをしたわけですが、

その頃から、母の容体がおかしくなり、
結局、乳がんが原因で1年ちょっとでこの世を去ることになりました。

はじめは、悲しみにくれてましたが、
ある時、考えを改めたんです。

それが、今回お話している

僕やあなたの周りの人が此の世を去るのは、

「僕やあなたにとってのその人自身のお役目が終わったから」

という考えです。

僕は、母の言いなりになっていましたが、
それはつまり、母の言いなりではなく、
自分の手で、自分の足で生きていくための
プロセスだったのかもと思ったんです。

僕が、母の元に自分で選んで生まれてきたのだとしたら、
その意味はなんなのだろうか

そんなことを考えてみると、

もしかしたら、

比較人間の母に育てられることで、僕自身も比較されることで
やる気を出したりという行動をとっていましたが、

そういう道を通ることによって、
本来の自分がしたい道に気づくプロセスだったとしたら…

母の存在は、僕を成長させてくれるためにあったのかもしれません。

そう考えると、

僕の人生での母のお役目は、

・母の言いなりで比較で世の中を見るようになっていたけど
そうではなく、もっと軽やかな自分の道を見つけるためのプロセス

・母が、乳がんでこの世を去ったから、僕ががんで命を落としてしまう
人を一人でもなくしたいという思いを持てるようになった

などなどまだまだありますが、

しっかりと母が生きていたことで、
母が、母にしかできないお役目を全うしてくれたことで、

僕は、今の人生を生きられてるんだなぁって感じてます。

だから、

はじめは寂しかったし、泣きもしたけど
この世は自分で作ってるのであれば、

母の存在を作り出し、この世に生まれ、
母に育てられたこと

これは、全部必然だったのかなー

なーんて笑

今日は、かなり深い話をしましたが、
あなたはどう思いましたか?

もし、あなたの周りでこの世を去った方がいるのであれば、
あなたへのその人のお役目はなんだったのかを
考えてみるといいかもしれません。

今日もあなたがもっともっとお喜楽な人生を歩めることを
応援してますね^^

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